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2012年6月3日18:04:00
小学校の理科の時でしたか、白い一輪の花を赤色のお水に浸けると、
赤色の花になる。
そのときは不思議な光景で、綺麗だな~とみてました。
いま考えると、これが人の健康の全てを表していると感じます。
体に良いものを与えると、血管を通って細胞に良いものが行き渡る。
そして細胞はとことん元気で働いてくれる。
悪いものを与えると、必ず病気の細胞になります。
実際は悪いものを与えるということはないでしょうから、
言い方をかえれば、日頃体に良いものを与える量が少なくなると、
細胞はやがて病気になる、そういうことです。
畑の野菜の出来栄えだって、手間をかけて丹精こめて作れば、
美味しいものができます。
人の体はもっとそうなのです。
「人の体は別で放置しておいても勝手に元気で働く」
そんなことは絶対にありません。
人の体こそ心をこめて手入れしないといけません。
そんなこと、どうしてわかるのか?って・・
だって現に皆、元気です、大丈夫です、っていっていて
病気で倒れているではありませんか。
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2012年6月9日18:01:00
病気を克服する決定的な方法はありません。
というより、病気を治すのは、自身に与えられた試練のようなものです。
病名は同じでも、克服するのは自身の問題です。
克服した人の方法は参考になっても、決してその方の力を拝借すること
はできません。
結局は自分で何とかしないといけません。
それは病気が治ることを信じてくださいませんか。
正確には病状が落ち着き、日常生活が満足にできる、
そうなることを信じて下さい。
ただ病気が良くなるという方角が見えてないでしょう、患者さんの多くは・・
西へ行けばいいのですか?それとも南へ向かえばいいのですか?
そこのところをお教えすのが私の役目と思っています。
あとは自身の頑張りです。
昨日は学会発表で病院診療をお休みさせて頂きました。
診療を休んではいられないのですが、患者さんに治療の方向を
お示しするのに、研究発表を公に行い、ご理解頂くことも
今は必要な時代ですので・・。
全ての病気が起こる始まりの第一歩は、”血行障害”です。
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2012年6月12日22:39:00
誰しも病気になりたくないでしょうけど、病気の存在は人を育てているのかも
知れません。最近特にそう思います。
とても大変そうな病気でも、そう思っているのは自分たちであって、本当は
治そうとすれば必ずチャンスがあるように思うのです。
私は病気はとっても簡単な理屈で起こり、小学校の低学年の子供さんでも
分かるようなこと、そうお話しています。けれど3メートルの高さの天井まで
医学書を積み上げて、それを読破しても病気は治せません。
でも本当は、自分たちが病気の起こり方を難しく考えているのと同じように、
病気の治り方も本当は簡単なのに、あえて難解にしているために治せない
のでしょうね。
では実際に病気を上手に乗り越えている人とは、
①少しの不安、心配はあっても殆ど動じない
ただ、もくもくと治療に専念しているだけという感じです
②こんな厳しさ、どこにあったのだろう
ひ弱な患者さんと思って診ていたのに、
まさに火事場の馬鹿力を発揮しているという感じです
③人のアドバイスは求めるが、基本は自分で進む
結局、これらは一言でいうと”なにくそ!精神”ですね。
それが人を育てているというふうに感じます。
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2012年6月14日12:41:00
”大局的”という言葉と”局所的”という言葉があります。
多分簡単には、「全体」と「部分」という意味と思います。
私たちは病気と聞かされれば、その病気の部分だけを治そうとします。
もし大腸癌と言われたら、大腸という部分の、しかも癌という部分を
診(み)ようとします。それも必要で立派な治療ですが、ではどうして
繰り返し、何度も同じ病気がでてくるのでしょうか?
言い方を換えれば、大腸癌が起こる前は、どうして大腸癌に
ならなかったのですか?
私は思うのですが、病気を治す時は「全体」も大事ではないかと。
病気になったとき、それがどこの部分であっても、その患者さんの体全体
の総合力も大事ではないかと思います。
病気は大腸であっても、病気が出ること自体、その患者さんの体調そのもの
が悪いのです。つまり体全体の調子が悪いから病気になったのです。
そうするといくら局所だけを治療していても、大局的に治療できていないなら
病気は治らない、そうなるように思います。
でも病気になった多くの方が、目先の局所だけを慌てて治療するのです。
そしてCTやMRIの写真を見て、局所が「良くなったね」と言われたら、
ホッ!と安心してしまうのです。でも病気はまた出るのですが・・。
私たちは病気に対しては、とっても心が弱くなります。
不安な心に潰されそうになります。というより押し潰されてしまいます。
でもここが勝敗の分かれ目なのです。
多分、本気で大局的に治療するということと、不安感を払拭するというのは
同じことを指すといっていいでしょう。
前回のブログで”なにくそ精神”とかきましたが、それを指しています。
とても大ざっぱに表現しますと、
「お医者さんに癌だと言われた。直ぐ切りなさいと言われた。自分は
お医者さんの言う通り、切ろうと思う。でも二度と切るのはごめんだ。
絶対に自分で元気になってやる!」
そうやって病気にならない体作りを始めるのです。
そして大局的に体を治療するとき、闇雲に治療をしても上手くいきません。
大局的に体調を評価する「自己防御力診断」が必要です。
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2012年6月23日22:03:00
人が病気になるときは、体の中は既に治療も始まっている、
そう思います。
もしそういう働きがないなら、私たちは発病とともにすぐに命をおとすに違
いありません。
でもその治療はあくまで手の内を見せてくれるだけです。
「こんな治療が始まっているのですよ・・」と。
私たちはそれをもとに、あとは自分の努力で治療を完結しなければなりま
せん。もし自分の努力なしに、勝手に体が病気を治してくれるなら、
人としての輝きがないかも知れません。
ところで、体の中でどんな治療が進行中なのかは、多くはお医者さんが説明
すべきかもしれません。
言い方はいろいろでしょうが、その患者さんの健康に向かう力を引き出す
ことです。それ以外にはありません。
そのとき使われる最も重要な因子が”電子(でんし)”です。
食べ物の抗酸化物質、そして空気のネガティブイオンです。
もし電子の供給を急ぐなら、機械的に電子を補充することです。
言い忘れましたが、健康に向かう力を「自己防御力」といいます。