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2012年6月14日12:41:00
”大局的”という言葉と”局所的”という言葉があります。
多分簡単には、「全体」と「部分」という意味と思います。
私たちは病気と聞かされれば、その病気の部分だけを治そうとします。
もし大腸癌と言われたら、大腸という部分の、しかも癌という部分を
診(み)ようとします。それも必要で立派な治療ですが、ではどうして
繰り返し、何度も同じ病気がでてくるのでしょうか?
言い方を換えれば、大腸癌が起こる前は、どうして大腸癌に
ならなかったのですか?
私は思うのですが、病気を治す時は「全体」も大事ではないかと。
病気になったとき、それがどこの部分であっても、その患者さんの体全体
の総合力も大事ではないかと思います。
病気は大腸であっても、病気が出ること自体、その患者さんの体調そのもの
が悪いのです。つまり体全体の調子が悪いから病気になったのです。
そうするといくら局所だけを治療していても、大局的に治療できていないなら
病気は治らない、そうなるように思います。
でも病気になった多くの方が、目先の局所だけを慌てて治療するのです。
そしてCTやMRIの写真を見て、局所が「良くなったね」と言われたら、
ホッ!と安心してしまうのです。でも病気はまた出るのですが・・。
私たちは病気に対しては、とっても心が弱くなります。
不安な心に潰されそうになります。というより押し潰されてしまいます。
でもここが勝敗の分かれ目なのです。
多分、本気で大局的に治療するということと、不安感を払拭するというのは
同じことを指すといっていいでしょう。
前回のブログで”なにくそ精神”とかきましたが、それを指しています。
とても大ざっぱに表現しますと、
「お医者さんに癌だと言われた。直ぐ切りなさいと言われた。自分は
お医者さんの言う通り、切ろうと思う。でも二度と切るのはごめんだ。
絶対に自分で元気になってやる!」
そうやって病気にならない体作りを始めるのです。
そして大局的に体を治療するとき、闇雲に治療をしても上手くいきません。
大局的に体調を評価する「自己防御力診断」が必要です。