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2012年10月14日18:32:00
対極板のお陰で、還元電子治療は飛躍的に発展しました。
対極板がついたことで、体内の隅々まで電子を供給することができる
ようになりました。
でも対極板がついて、それで闇雲に電子を沢山入れるといっても、
一体何を基準にして電子の供給量を決めればいいのか?
そこが問題でした。
それは私たちの体の中では常に電子がある速度をもって移動しています。
従って、その移動速度にあわせて、電子を入れればいいのです。
それが最も大事なことです。詳細は成書をご覧下さい。
ところで、供給した電子をどうやって細胞まで運搬するか?
ここがとても重要です。
そこは電子を供給するディバイスでは不可能な部分です。
そこは生体の自然のはたらきに委ねるしかありません。
つまり体内の抗酸化物質に電子運搬になって頂くしかありません。
そうしますと、もし抗酸化物質が体内にとても少ないとき、電子だけを
与えても、実際は電子の取り込みが少なく、還元電子治療の効果が小さい
ことになります。
これは例えば動物実験でも同じことが言えます。
上述のお話は還元電子治療だからでしょうか・・・
自然界に存在しているネガティブイオンは、簡単には電子を持った
空気の粒子(気体粒子)です。
この電子もまた抗酸化物質によって運搬されています。
というより還元電子治療はネガティブイオンの作用原理を応用した治療
なのです。
十分な抗酸化物質のもと電子供給をはじめてください。
なお抗酸化物質と電子の供給は同時である必要はありません。
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2012年10月6日23:59:00
「人の体が病気になるとき、活性酸素という物質の影響が大きい」
私が学校で講義を受けていたときも、既にそんなお話がでていました。
でも今ほどではありません。まだほんの少しでした。
いまでは病気の成因に、あるいは病気の悪化に活性酸素やフリーラジカル
など、酸化ストレスの影響を無視できないと考えます。
酸化を起こす物質を消去するとき、それが酵素であれ、補酵素であれ、
あるいはビタミンやプロビタミン、ビタミン様物質、アミノ酸にしろ、いわゆる
抗酸化作用を持っている物質の”電子”が供与されます。
電子の母体は、それら抗酸化物質ですが、電子を固定しているのは
水素イオン(H+)です。そうしますと電子と水素イオンをしっかり含んだ
物質は酸化を著しく抑制することになります。
もし機械的に電子を供給する装置があったとしますと、その消去能力を
調べるのに水(H2O)を用いると便利な場合が多いです。
水は水素イオン(H+)と水酸化イオン(OH-)に幾らか解離しています。
電子を機械的に水に供給し、水素原子および水素分子をつくります。
あるときシャーレに入れていた水に機械的に電子を供給する実験を繰り返し
行っていました。でも、やってもやっても水に電子は取り込まれないのです。
ところがひょんなことからスナック菓子の袋(あの銀色の)をシャーレの底
に敷いたのです。そうしましたら、水に沢山の電子が取り込まれたのです。
つまり電子が分散しないように一方向に集め、しかも供給した電子が水の
中の水素イオンに衝突するエネルギーを大きくすることで、水素原子及び
水素分子の生成を多くしたのでした。
もしそれを人の体でも応用できれば、体に沢山の電子が取り込まれ、体の
活性酸素やフリーラジカルの酸化を十分に抑制できることになります。
これをきっかけに実験が繰り返され、現在の還元電子治療の対極板が誕生
したのです。ですから対極板はスナック菓子の袋がヒントだったのです。
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2012年10月3日19:36:00
私たちは病気を治すとき、必ず”病気の部分”と”病気の根の部分”の両方
を治すことと考えてほしいです。
多くの方は、病気といったら「病気」しかみてません。
病気になるには、必ず「病気の根」があります。
病気の根っこが無いとしたら、病気など起こりません。
そして病気の根は、自分から遠く離れたところにありません。
「東京にいる方が、東京から遠く離れた北海道に行って、
北海道にいる癌の友人を見舞って、また東京に帰ってきた。
そうしたら自分も癌になった。」そんなことはありえないのです。
病気になるのは、自分そのものに理由があるのです。
私たちは健康でいる自分をみて、勝手に”健康でいるのが当然”と思ってます。
でも本当は健康でいられるのが不思議なのです。
私たちは、一人一人が病気にならないようにする力を持っています。
これが”自己防御力”であります。
世の中を生きる大変さの中で、徐々に自己防御力が弱くなったのです。
その状態が「病気の根」であります。
ある意味、病気の根は荒波を生きてきた、苦難の人生の勲章でもあります。
決して有り難い勲章ではありませんが・・・
ですから病気の根をなくするには、もう一度自己防御力を丈夫にすることです。
世の中にはいっぱいいっぱい素敵な治療があります。
その治療は一体何のためにあるのでしょうか。
わたしは思うのです。全ては”自己防御力を丈夫にするため”と・・・
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2012年9月30日14:06:00
”医療は人である”と思っております。
病気が起こるとき、その方の”こころ、気持ち”が重要なら
病気の回復も、その方の”こころ、気持ち”が大事です。
そうすると医療もまた、医療に携わる医療者の”こころ、気持ち”が一番
大事であって、それによって患者さんの病状は大きく変わります。
「あなたは、癌ですよ。通常では、あと半年ですね。」というだけなら、
多分どなたでも言えます。もちろん手術や薬の治療も大事ですが、
そう言った後に、患者さんの”こころ、気持ち”についてフォローしておかない
といけません。
何故なら、病気の回復に患者さんの”こころの強さ”が不可欠だからです。
もともと患者さんの病気ではあるが、患者さんの心の助けがないと、
重篤な病気ほど回復は困難です。
そのことを全て熟知した医療チームが誕生しました。
それが明日大阪、茨木に開院する”ハズしまぶくろクリニック”です。
院長のしまぶくろDr.は外科医でありながら、患者さんのこころを重視し、
そこに優秀な医療スタッフとともに素晴らしい医療内容で患者さんの
診療にあたられます。
多くの患者さんは、きっと思われるでしょう。
「以前から、こんな病院があったらいいな~と思っていました」と。
予約制です。どうぞご連絡してから受診して下さい。
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2012年9月16日21:32:00
全く同じ人なのに、何故”健康”と”病気”があるの?
健康で生まれてきたなら、最後まで健康でいけばいいのに・・
どうして病気になるの?
その”からくり”が分かれば、私たちはずっと健康でいられるチャンスが
あります。
しかし”からくり”が分かっただけではダメです。実践しなければなりません。
実践とは、自己防御力の回復です。
”自分を病気にさせない力”これをもう一度回復しない限り、病気の人は
根っから治りません。何度でも病気が襲ってきます。
ところで自己防御力を高めるとき、避けられない条件が一つあります。
それは”こころ”です。
”こころ”のないところに、回復のチャンスも無いのです。
その”こころ”とは、
①油断しないこころ・・病気を軽んじてはいけない!甘く見てはいけない。
②平常のこころ・・不安、心配、恐怖に呑み込まれてはならない!
③不動のこころ・・その治療を確信をもって貫くこと!
④何くそのこころ・・ここで引き下がることは出来ない!
この”こころ”が自己防御力の土台になっているのです。
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2012年9月15日22:06:00
今の診療所を開設しまして、丁度20年になります。
気がつけば20年です。まさに、あっという間でした。
当時5歳だった子供さんは25歳。もう大学も卒業し、立派な社会人です。
風邪を引いて来院されても、全く気づきません。
カルテの名前を見て、ひっとして・・・という感じです。
当時65歳だった方は、当然ですが85歳です。
普段からずっと診ているからか、ぜんぜん変わらないのです。
オーバーかもしれませんが、まるで時が止まったかのように・・・
本当に、当時のお若いままの感じです。
本人方は、もう何時お迎えが来ても・・・というのですが、
頭はきれるし、食べれるし、草抜きは出来ますし、心臓は丈夫ですし・・・
むしろ、これから、という感じです。
ある患者さんいわく、
「そう言えば、元気にしている同級生、もういないですわ、私だけですね。」
それ全てが還元電子治療のお陰とは申しません。
しかし診療所が休みの日以外は、いつも治療しに来てました。
そして今日も・・・。
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2012年9月13日19:21:00
「私のブログをお読み頂いている方に」
お忙しいところ、いつもありがとうございます。
この4年~5年の間に、幾つかの新しい言葉がでてきて、少し混乱なさって
いるかも知れません。
簡単に言葉の整理をさせて頂きます。
「根元(ねもと)の医療」とは・・・
病気が起こるからには、必ず病気の根っこがあります。
今日の医療が、病気を診て病気を治療する、のに対して
病気の根の部分を診て病気の根っこを治療する、
これを「根元の医療」といいます。成書(教科書)にはありません。
「自己防御力」と「自己防御力診断」・・・こちらも成書にありません。
ある人に、今まで病気が無かったのに、どうして病気が出たのだろうか?
それは「自分に病気を出さないようにしている力」が失われたからです。
そのような力を”自己防御力”といい、人が病気になるのは、
この自己防御力が低下したためです。
すなわち”病気の根っこ”とは”自己防御力の低下”のことです。
ですから「根元の医療」とは、自己防御力を診て、もし低下していたら
自己防御力を高める治療のことです。
そして自己防御力を調べる検査を「自己防御力診断」といいます。
「自己防御力トライアングル」・・・成書にありません。
では自己防御力とは具体的に何を意味するでしょうか。
それは第一に”細胞の元気度”、第二に”免疫力の丈夫さ(免疫バランス)”
第三に”炎症の鎮静度”です。
これを頂点にした三角形を「自己防御力トライアングル」といいます。
「細胞内検査」と「細胞内診療」・・・成書にありません。
自己防御力トライアングルで一番大切なのは”細胞の元気度”です。
人の体はすべて細胞でつくらています。
実は、人が病気になるのは明らかに細胞なのです。
ですから病気の根っこの究極の場所が”細胞”ということになります。
もし細胞の元気度を調べて常に満点の状態なら、細胞は病気にならない
のです。つまり人の病気は起こらないのです。
細胞の元気度を調べる検査を「細胞内検査」といい、
この「細胞内検査」と低下した細胞の元気度を取り戻すための治療を
「細胞内診療」といいます。
つまり細胞を診て細胞を治療するという意味です。
「電子補充療法」・・・成書にありません。
病気の根っことは、自己防御力の低下でした。
低下した自己防御力を回復するためには、究極のところ”電子(でんし)”
しかありません。
自然界での電子供給源は、
食べ物の”抗酸化物質”と大気中の”ネガティブイオン(マイナスイオン)”
です。しかしそれでも電子の供給が不足しているのであれば、積極的に
機械的に電子を与えるのが「還元電子治療」です。
それらの方法で電子を補充する治療を「電子補充療法」といいます。
決して還元電子治療だけを指すわけではありません。
とても長くなってすみません。これからもこれらの言葉がでてきます。
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2012年9月12日19:48:00
還元電子治療は体に電子(でんし)を与える治療です。
目的は細胞の酸化・酸性という老廃物を除去することです。
厳密には細胞の中と細胞の外の両方を掃除します。
老廃物の多くは細胞の中で発生しますが、もし細胞の外が老廃物で一杯
なら、やがて細胞の中も老廃物だらけになります。
酸化・酸性の老廃物を消せるのは、電子(でんし)という物質だけです。
しかも電子があると、酸化と酸性がいっぺんに、つまり同時に消せるのです。
ところが既に電子をもった物質は、酸化は消せても
酸性は消せないのです。直接は・・・
そこで電子だけを与えることに大きな意味があります。
自然界では電子を持つ抗酸化物質と電子のみのが与えられる
大気ネガティブイオンがともにあって体の酸化・酸性がスムーズ解消される
のです。
還元電子治療の電子は大気ネガティブイオンの電子と同じ作用です。
でもその電子は体の中では抗酸化物質の電子になり得るのです。
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2012年9月8日23:51:00
還元電子治療は、特定の病気を無くするための治療ではありません。
病気を無くする治療なら、いわゆる対症療法をすべきです。
しかしながら還元電子治療を指して、この治療が自分や家族の命を救った
恩人のごとく言われますと、やはりこの治療の計り知れない”すごさ”を感
じます。
それは、この治療が病気に効くのではありませんが、”自己防御力の回復”
を目的としているため、全ての患者さん、あるいは健康を願う全ての人々に
必須の治療となり得るからです。
そしてこの治療を通して与えられること、それは”それぞれの人の満足感”
に他なりません。
今よりもほんの少しでも健康になれることが、生きることへのモチベーション
となり、いろいろな満足感を得ることになります。
「出かけて行き、大自然をゆっくり満喫することも」
「家族のことを思いやることも」
「ひょっとしたら、大切な人を助けてあげることも」
「そして自分を見つめなおすことも」
本当に生まれてきて良かったと思えたならば、
この治療は大成功であったに違いありません。
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2012年9月1日23:02:00
多くの方々に、沢山のお力添えを頂戴し、心から感謝いたします。
今後「根元の医療」なくして本当に病気から解放されることはないと
思います。
しかしながら、どうかご理解頂きたいのですが、
還元電子治療に決して”性急な結果”を求めないで下さい!
もともとそういう治療ではないのです。
ゆっくりゆっくり、少しずつ少しずつ
毎日日課のようにして、体の手入れをする治療なのです。
いわゆる「病気の根の部分をなくする治療」なのです。
もし一瞬にして病気をなくすことを望むなら、別な治療法を選択下さい。
私たちは「根元の医療」を導入して頂いたなら、
たとえ病気を根絶できない場合があったとしても、
きっと一人一人の方に何がしかの”満足感”を味わって頂ける、
そう思っております。