2017年6月4日11:06:00
No.708
病気の入り口は”油断と過信”と思います。
健康と思っていて病気になった時の”油断と過信”は、
私は若いから大丈夫よ!とか、
いつも体調が良いから、大丈夫よ!とか、
職場の健康診断で、何も問題なかったわ!・・・から始まります。
一方、病気になって、再び病気を繰り返すときの”油断と過信”は、
この前も治ったし、今回も治るわ!・・・から始まります。
この意味、分かりにくいので、患者さんの仰った言葉をお借りすると、
心のどこかで”病気を馬鹿にしてる、病気を甘くみてる”
・・・そんな感じだそうです。
ついでながら”油断と過信”の話とは違うのですが、病気になって
中々治癒しない場合、
心のどこかで”病気を高級品扱いしている”ことがあります。
多くの場合、”風邪を引いてしまって!”と言ったら軽く受けとられ、
”ガンを患って!”と言ったら重く受けとられますので、つい自分でも
”ガン”を高級品にしているところがあります。
確かに風邪とガンでは病態も治療法も、また病気の長さも異なります。
でも、いずれも病気は病気で、病気の本質に、そう大差はないのです。
つい、ガンを高級品にしてしまっている心とはどんなものか?
それを表現するピッタリの言葉が、中々見つかりません。
あえて言えば、決して風邪引きのときには無かった・・・
”おそるおそる”でしょうか。
どこかに”怖がる気持ちや不安な気持ち”が強く続いているという感じ
かも知れません。
随分前には、自分がガンであっても、ガンだと知らされていない時代が
ありました。当然ですが、”おそるおそる”という気持ちはありません。
今ほど素晴らしい抗がん剤もありませんでしたが、随分元気になられ、
時に、ガンの病気とは全く無関係の病気で終わる方もおりました。
告知をすることが悪いという意味ではありませんが、たとえ自分がガン
と知っても、高級品にせず、風邪引きと同じ程度に養生する気持ちで
あったなら、かなりガンの治癒は早まるのではないでしょうか。
病気の治療で一番厄介なことは、”おそるおそる”の気持ちなのです。
自分のなかで、これを解消できるか否かが、治癒を決めているのです。